行き着く先
叔父が亡くなった。
父が男3人兄弟の長男で、その下の二番目の弟。
今年の7月には、叔父の息子(僕の従兄弟)が結婚し、ニコニコしながら式に出てた。
9月にすい臓に癌が見つかる。
そして12月10日に自宅にて永眠した。
先々週、叔父に会いに行った際に腹水が溜まったお腹を見ながら、
「覚悟はしてる」
と言った叔父。
顔色も良く、激しく痩せているわけでもなく、これといって痛みも出てなかったみたいだし、黄疸なんかも一切なかった。
それでもなくなる一週間前に自宅に戻り、直前は激しい痛みを家族と一緒に戦った。
正直見舞いに行った際に、
(ホントは全然大丈夫なんじゃないか?)
って思う位に元気そうだった。そう見せてたんだろうけど。
3人兄弟の中で、一番ガタイが良くて、武勇伝も多かった叔父の死はなんだか全く信じられない。
スキューバダイビングのインストラクターであり、ショップとペンションを経営していた。
小さい時から夏休みは毎回そこに行ってタップリと海で遊んだ。
僕が今でも海が好きなのはそのせいだ。
大学卒業後の進路にスキューバダイビングのインストラクターを考えてたのも叔父の影響だったし、始めて買った車が大きな四駆車だったのも叔父の影響だった。
僕がまだ中学生くらいの頃に、真っ白の大きなランクルに乗って、後ろの荷台にはフィンやウェットスーツがかけてあって、ギアには大きなダイバーナイフがひっかけてあったランクルで駅まで迎えに来てくれたのを今でも覚えてる。しかもイケメン。
(カッコいいなぁ)
そう思った。
ペラペラ喋るタイプじゃなかったけど、最後は痛みに耐えながら、
「生きたい」
って叫んでいたという。
どういう事だ?コレは?
今回強く感じた事は、”命ははかないから大事にしないと””だから一期一会なんだ”とかそんな当たり前のような、綺麗ごとのような事ではない。
<<なんてあっけないんだ・・・>>
という事。
7月には元気でいて、病気が発覚してから3ヶ月から4ヶ月で死んでしまう。
今僕がこう書いていて、来週癌が見つかれば、4月には僕はこの世界からいなくなるんだ。
家を出て、階段から転んで頭を強打すればすぐにこの世界からいなくなるんだ。
老若男女、肌の色、何も関係なく人間なんて儚いなぁと。
必死で頑張ったヤツ、そうじゃないヤツ、結局行き着く先はみんな一緒。
だったら傷つかずに、疲れずに、苦しまずに生きた方がいいじゃん?
別に悩みながら唄ってる意味とか少なくとも百年後には無い訳だ。
人間関係に縛られて生きる必要なんて無いし。
もうこうなると誰しもが、万人が抱える悩み、
「なぜ生きるのか?」
ってトコロに繋がってしまうのである。
僕の両親は幸せな事に健康である。
でもいよいよ、親世代の親戚が亡くなったコトによって、
「さぁ、いよいよお前の番が近づいて来たぞ」
って誰かに言われてる気がする。
叔父が62歳で亡くなったので、僕が62歳で逝くと仮定すると、残りは28年。
スゴく目の前だ。
結婚もしてない僕は、息子が30歳になるのも見れない訳だ。
どうしたらいいんだろうね?
叔父さんはどう思ってる?
そんな事を思って少し笑顔にも見える叔父の眠ってる横顔を見ていた。
夕焼けは少し紫を帯びていた。
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コメント
何とコメントしていいかわかりません。何故なら亮太さんが味わっている悲しみはその状況になってみないとわからないからです。安易なコメントはできません。
投稿: ゆりこ | 2008/12/12 23:42
憧れの素敵な叔父様だったんですね。
ご冥福をお祈りします。
投稿: こっしー | 2008/12/13 14:43
私が突然、父を亡くした時、なんとも呆気なかったです。
ものすごく辛かったけど、今だって忘れもしないけど、悲しいかな、時が過ぎると気持ちもだんだん整理でき、落ち着くものでした。そんな自分が寂しくもありますが。
叔父さまのご冥福を心からお祈り致します。
投稿: らう | 2008/12/13 22:38
あっちゃんが亡くなられたことは、私もすごくショックです・・・。
今でも信じられません。
投稿: 一美 | 2008/12/14 00:12
3月に祖母が亡くなりました。94歳。
みんな大往生だと言って笑ってた。
そんなに笑えるの?って思ったけど、
お葬式ではみんな泣いていた。
私は手を合わせるのが精一杯で
心の中で『ありがとう』しか言えなかった。
そして火葬場へ。
『骨』になってしまった祖母を見て
あっけなく思った。
不思議にもみんな泣いていなくて
祖母が『もういない』事を知っていた。
死んだらみんな骨だけになる。
もちろん自分も。
それこそ亮太さんの言うように、老若男女、肌の色なんて関係なく。
私だっていつ死ぬかわからない。
明日、仕事へ行ったっきりになるかも知れない。
今、自分の手で終わらせる事だってできる。
(大袈裟だけど・・・^^;)
『なぜ生きるのか』
私には、生まれて1ヶ月だけ生きた兄と、
生まれて1週間だけ生きた妹、息なく生まれてきた弟がいます。
それなのになぜ私は今でも生きているのか不思議に思うことがあります。
だけど、それは私の生命力だと思っています。
兄弟の分もこれからも生き続けようと思ってます。
私の生命力が許す限りは。
自分の『死』なんて想像したこともないけど
身近な人がいなくなると考えさせられます。
それでも私は生きてゆくんだと思います。
乱文で失礼しました。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
そして百年後には無いであろう悩みこそ
今、生きている証なんだなぁ・・・イエイ☆
投稿: 和花 | 2008/12/14 21:02
人の命ははかない・・・。
母の闘病を経験し、人の命のはかなさ・・・。
そして、人の強さを経験しました。
母が亡くなってからの方が母が近いんです。
不思議な感覚・・・でも、やっぱり
すごく母に会いたい。
だからこそ命は大切にしたいと思う。
私のモットー!
さんまさんと一緒で
「生きてるだけで丸儲け!」
投稿: めいちゃん | 2008/12/14 22:37
ちょうど一年前、生まれた時から30年間ずっと一緒に住んでいた祖母が他界しました。本当にロウソクの火をフッと消したかのようにあっけなくて・・・。
月日が経つにつれ、ちょこちょこと色んな思いもわいたり考えたりし、祖母から与えられたモノが私の中で生きている!?っていう感じがしてきました。いい孫じゃなかったんですけど。
亮太さんの叔父さんも最後まで亮太さんに何かを与え、残していかれたのですね。
人はいつか旅立つけれど、この世に何らかのモノを残している・・・残った者はそれを人としての厚みに加え、生かして生きていく事が出来たらいいなぁと考えたりもします。
生きている意味がわからなくなる時がありますが、私も誰かに何らかモノを残して誰かの厚みの一部になれたらいいなぁ。
ちなみに亮太さんの歌う姿は私に厚みを加えてくれましたよ。私もこんな風に好きな事を楽しみたいって。歌う姿だけではないですけど。
これからも宜しくお願いします。
投稿: 友 | 2008/12/15 00:56
時間くすりです。
あとは何か食べること。
色々考えちゃうのはお腹すいてる時じゃね?
投稿: ばけものまつり | 2008/12/15 21:11
28年。
高校大学を四回やれる。新しい青春を4つもつくれる。まだ一個しか使ってない。倍の倍もある。楽しもうぜ!
レッツゴー♪
投稿: k | 2008/12/16 14:06
ある二十歳の女の子は言ってた。
「私、もう生きられないのかなぁ。
彼と最後に旅行に行きたいの。」
あるおじいさんは言ってた。
「孫の運動会があるから頑張るんだ。」
あるお母さんは言ってた。
「私と子どもの命、どっちかしか残らないなら子どもを選んで。」
いろんな人に出会い、旅立っていった人も
「生きている」人もいる。
生きる意味ってそれぞれあって。
人が亡くなるたび、もう見たくない
見てられないと必ず思う。
でも言葉にはできない時間と空間を共にできたことは
喜べる。
私はその時間に少しの力を貸したい。
心よりご冥福お祈りいたします。
投稿: みき | 2008/12/16 20:26
実は私も最近叔父が亡くなったの・・・・
人が逝く瞬間を看取るって本当にエネルギーの要ることで・・・
本当に本当に人って儚いものだと思い知らされました。
和弘先生もさぞ、辛い思いをしてると胸が痛みます。
そして、本当に・・・親の親戚世代や逝ってしまうところまできてしまったのね。。。。
日々、大切に生きないとですね。
投稿: miho | 2008/12/20 21:00