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2011年4月

2011/04/18

ライブ@名古屋

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見上げたら街路樹に緑が萌えてきていた。
少しづつ、そして確実に季節が巡っているんだなぁ。

ここんとこ色々ありすぎて、そして色々とto doもありすぎて頭から湯気が出てる。
でも大事にひとつひとつを解決して、細い道を抜けた先に急に海が見えるかのような景色で色々と開けて、そして安らげたらいいと思い今は歩を進めるコトにしておりますよ。

そして、ライヴ!やります。
名古屋!!でございます。
すでにカウンターには出したのですが、詳細は下記通り。

東日本大震災支援チャリティーライブ
「西から東へ」

[出] 登坂亮太/大知正紘/Fumi & wish/...
5月4日(祝)
@Heart Land Studio
START:18:30~

前\3,500
当\4,000
(D代別途 500円)
チケット購入はコチラです。
http://www.heartlandstudio.co.jp/next.html

初の名古屋ライヴでございます。
ちなみにこの日集まった義援金はワタクシが責任持ってFund for Japanへ寄付させて頂きます。

お近くにお住まいの方、是非会いに来てくださいませ。
逢いにいきますから。

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2011/04/10

ブラザーリンク

前回のブログに、震災後初のライヴの時の心境を書きました。
それで先日、なんの気なしにダンサーである弟、太頼のブログを見てみた。

話は3月に行われた佐多達枝さん振付のOFC公演「カルミナ・ブラーナ」に出演した時のコト。
この公演が彼にとって震災後初の舞台だった。
以前からモーレツに観にいきたくてチケットも取ってもらってたんだけど、急遽石巻市に炊き出しに行くことになったので観れなかった舞台。
観に行った人達は大絶賛だった・・・。

そしたら、震災後初の舞台で彼が感じた事がブログにアップされてたんだけど、
彼が舞台前に感じた事、踊るコトで感じた事が自分とソックリ!!

感じ方、その表現の仕方もそっくりで笑っちゃった。

さすがマイブラザー。

もしかしたら表現者はみなそう思って最初のライブを行ってたのかも。
いや、誰もがそうやって日常や自分がやってる何かに本当の意義を見出そうとしているのだろう。
で、あれば誰もが同じキモチを今共有しているハズだ。

「ひとつになろうニッポン!!」

とか押し付けがましく言われると、

「やかましいわ!!わかってるわ!!必死にやってるわ!!」

と言いたくなる時がある。
そんなコト言われなくても、すでにひとつになってるんだから。

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2011/04/09

再び石巻へ

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今、石巻へ向かう車の中です。
帰京してから10日近く経ち、状況も日々刻一刻と変わる中再びの強い余震が昨夜もありました。
誰もが不安な日々を過ごしてる。
被災地はモチロン、東京でも。

先日ライヴがありました。
地震後初のライヴ。

正直言って唄うモチベーションになかなかなれずにいた自分がいて、そしてどうやって今までライヴ前に心の準備をしていたかも思い出せない状態でもあり。

この状況の中で自分が”ナニを、どうやって、ダレに”伝えるのかグチャグチャなまま唄いだした感じがしてました。
土の入った水槽に手を突っ込み、グチャグチャにかき回したのをジーッと眺めてるような心境。

ライヴが始まり、唄っていくうちに、次第にその水槽の回転が収まっていき、底に土が少しづつ層を成して重なっていき、上部には澄んだ水が見えて来た。

決してかき回す前と同じ状態ではないけど、昔の状態に戻る事はないけれど、かき回す事で新たな景色が見えてくるというか、そんな感覚があって。

最後に「雨を待っている」を唄ったんだけど、その曲自体が実は違うメッセージを僕の知らないトコロで持ち始めていたんだという事にも気づいたりもしました。

とにかく、唄うことで整理されて事が確かにあったんです。
きっとその感覚を共有してくれた人がいてくれた気がします。

中断していたレコーディングも再開します。
そして、新たな局面もこのタイミングで色々迎えていたり。

石巻に向かう車の中で、今回の活動の意味が前回とは違うということが、僕が少しだけ変わったというか、新しいものが少し見えたというか、そんな少しスッキリしたようなキモチで理解出来つつあるのを感じてます。

もうすぐ福島県に入ります。

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2011/04/04

無力感と無気力

石巻の炊き出しから戻り、まだまだ落ち着かないながらも日々の生活に向き合いつつあります。
色々と発信して、どの自分が本当なのか混乱しつつ、全部自分であるコトも確かで。

だからといって1ヶ月前の生活には戻れないのを覚悟しつつも懐かしむ様な日々であり。
例えば大事な人を亡くして、その人と過ごした日々に二度と戻れないのは分かってるんだけど、どうしても戻りたくなる、戻して欲しくなる衝動を抑えられない時があったりします。

予備催眠をかけられたまま、かけた催眠術師がどこかに失踪してしまい二度と解けてもらえなくなる不安定な状態を憂鬱に思いながらも、彼を探して解いてもらわなければと動き出そうとするかのような衝動と行動と決意と覚悟なんだと。

そんな風に思っている毎日です。

風も水も汚れていく未来を悲観しながらも、それを食い止めるべくどうしていいかを模索する行為の中に、将来へのモチベーションを探すという、いわばネガティブからの初期衝動が小さく熱く心の芯にあります。

音楽という非生産的な行為自体の意味の無さを痛感してるんだけど、僕自身それを無くして生きていく事自体が恐怖なわけで、やはりどこかで唄いたいと思ってる。

石巻に行って以来、東京で食事していても傍らにお腹を空かせたあの日の少年がじっと僕を見てるかのような錯覚に陥っています。

今日、ライヴがあるんだけど、僕が唄う傍らにその少年が立つ事が僕にどんなイメージと行為を喚起するのかは分かりません。

反面音楽が持つ力を強く信じていて、その信念が僕の身体の水分量以上に占めている事を知っています。

だから発していきたい、その力が具体的なモノやカタチに変わるように動いていこうと思ってるのが今日現在の僕です。

無力感と無気力は違う。

震災直後に強烈な無気力に襲われ、被災地に行った直後に強烈な無力感に襲われた。

でも無力感という荒野の中に芽を見つけ、大事に摘んで持って帰って水をあげる行為なら出来る。
愛する人と一緒にあげれたら確実に育てる事が出来る。

今はそんな気持ちに少しづつスイッチしている状態です。

まだまだ頭の整理が収まらないけど、今週末はまた石巻に行くし、来月はチャリティーライヴも東京、名古屋で予定しています。

無力→無気力→行動

というベクトルに向かえるように動き考えていきます。
そんな宣言のような気持ち。

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