無力感と無気力
石巻の炊き出しから戻り、まだまだ落ち着かないながらも日々の生活に向き合いつつあります。
色々と発信して、どの自分が本当なのか混乱しつつ、全部自分であるコトも確かで。
だからといって1ヶ月前の生活には戻れないのを覚悟しつつも懐かしむ様な日々であり。
例えば大事な人を亡くして、その人と過ごした日々に二度と戻れないのは分かってるんだけど、どうしても戻りたくなる、戻して欲しくなる衝動を抑えられない時があったりします。
予備催眠をかけられたまま、かけた催眠術師がどこかに失踪してしまい二度と解けてもらえなくなる不安定な状態を憂鬱に思いながらも、彼を探して解いてもらわなければと動き出そうとするかのような衝動と行動と決意と覚悟なんだと。
そんな風に思っている毎日です。
風も水も汚れていく未来を悲観しながらも、それを食い止めるべくどうしていいかを模索する行為の中に、将来へのモチベーションを探すという、いわばネガティブからの初期衝動が小さく熱く心の芯にあります。
音楽という非生産的な行為自体の意味の無さを痛感してるんだけど、僕自身それを無くして生きていく事自体が恐怖なわけで、やはりどこかで唄いたいと思ってる。
石巻に行って以来、東京で食事していても傍らにお腹を空かせたあの日の少年がじっと僕を見てるかのような錯覚に陥っています。
今日、ライヴがあるんだけど、僕が唄う傍らにその少年が立つ事が僕にどんなイメージと行為を喚起するのかは分かりません。
反面音楽が持つ力を強く信じていて、その信念が僕の身体の水分量以上に占めている事を知っています。
だから発していきたい、その力が具体的なモノやカタチに変わるように動いていこうと思ってるのが今日現在の僕です。
無力感と無気力は違う。
震災直後に強烈な無気力に襲われ、被災地に行った直後に強烈な無力感に襲われた。
でも無力感という荒野の中に芽を見つけ、大事に摘んで持って帰って水をあげる行為なら出来る。
愛する人と一緒にあげれたら確実に育てる事が出来る。
今はそんな気持ちに少しづつスイッチしている状態です。
まだまだ頭の整理が収まらないけど、今週末はまた石巻に行くし、来月はチャリティーライヴも東京、名古屋で予定しています。
無力→無気力→行動
というベクトルに向かえるように動き考えていきます。
そんな宣言のような気持ち。
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コメント
今日はどんな夜になったのでしょうか。
仕事が先ほど終わったので今夜は行けませんでした、残念。来月のライヴ日にちが決まったらお知らせください。行きたいな。
私も仕事をしながらいろいろ考え、考えさせられました。まだまだ無力感は消えません。
投稿: みき | 2011/04/04 23:17
亮太お疲れ。
俺も日々、何もできない自分と何かをしなきゃいけない自分の狭間で苦しんでいます。
歌の持つ力、この力をおもいっきり使える日を待ち望み、その日までしっかりと自分を保って頑張ってます。
共に頑張ろう。朋友。
投稿: 我孫子泉 | 2011/04/05 14:04
おつかれです。
率直に言わせてもらえれば、今回の災害で起こりえたすべての事を亮太さんが背負い込む必要は全く無く、きびしい言い方をすれば、それぞれの環境はそれぞれの責任に於いて決まるのです。
ただ、皆が普通だと思っている、この周りを取り巻く環境は良くも悪くも様々な可能性を秘めているという事。
そして、これからの可能性をどう作り上げていくかが重要です。
亮太さんは今回人々の惨事を目にしたという経験をどういう風にこれからの可能性に反映させて行くかが大事で、亮太さんのパーソナリティーでそれを表現できるかです。
僕の知る限り、亮太さんは何かを形にできる力を持っていると思いますし、人は皆その力を持っています!
明るい未来を信じましょう!
そして、共にそうなる努力を惜しまず続けましょう!
自分らしく、ゆっくりとベストを尽くして。
ではまた。
投稿: George。 | 2011/04/07 06:48
亮太さんがいつもクリアな気持ちで
ハッピーを感じていられますようにo(^^)o☆☆☆
願いを込めて☆
投稿: (仮) | 2011/04/08 12:15