徒然な言葉初め
前回8月21日にアップしてから4ヶ月以上経ってしまった。
8月21日にブログを書いてる時には想像もつかないような日々がその後に待っているとはつゆ知らずに。
昨年8月はターニングポイントとなった月だったかも知れない。
人間関係とか家族とか音楽とか価値観とか。
気がつけばあっというに2013年過ぎ去って、どの日が何日だったか全く思い返せない。
まぁ人間なんて昨日の夕飯のおかずさえすぐに思い出せないもんだし。
2005年4月30日に始まったこのブログ。
当時はブログも始まったばかりで、自分でノウハウを探しながら今日まで続けて来た。もう9年。
今はTwitterやLINE、facebookをはじめ、SMSが生活のコミュニケーションの核となりつつある。
これもその当時には想像もつかないことであった。
それにともなって人とのコミュニケーションに変化が訪れ、人間関係の基本的な繋がりの価値観にも大きな変化が出てきた。
江戸時代と今ではない、わずか9年の違いでだ。
音楽の聴き方、聴かれ方もこの9年で大きく変わった。
それによって音楽家達もそれに合わせて、いい意味も悪い意味も変わらざるを得ない時期となっている。音楽の価値観も大きく変わったとも思う。
そう考えると、1秒後に驚くような変化が自分にも訪れるかも知れないという可能性を考慮した上で行動しないといけないな、なんて考える。
と同時にその積み重ねで1週間先、1ヶ月先、1年先というある程度まとめたスパンでも予測予想を立てつつ一歩を出さないといけないと思う。
夢、なんて言葉をいつからか信じなくなった。
信じないというか、夢という言葉がなんというか曖昧で形骸化されない概念の表現としか思えないからだ。
キレイ事を聞くとイラつくし、キレイ事を並べた歌を聞くと吐き気がする。
所詮、そういう言葉を神サマみたいに崇拝しないと生きていけない弱い生き物だからだ。僕(僕って使うのムズムズするけど)なんてモロにそうだし。
だからこそそんな自分にイラつく。
所詮ムーブメントは誰かが仕掛けているし、それを流行りと捉えて得意気になってる人々はタダの烏合の衆だ。
有名DCブランドで埋め尽くして、カラーコーディネートも全体のシルエットもバラバラなのに得意気に歩いてる人間ようなもんだ。
自分で判断すればいい。見た目や周りの評判に左右されずに。それを得意気に選択すればいい。
烏合の衆に笑われたって、ダサいのはそいつらだから。
なんだか頭を捻りながら従ったり、納得させて来たけど、もうやめた。
自分が嗅いで”臭い”と思ったら、俺以外が「いい匂いだよ!流行ってるし!!」という愚言に対してニコッと笑って「くせーよ」って言ってやる。
MATRIXでネオになるか、機械の電池で一生終わるかの違いだね。
ウカウカしてたら、心臓がキュッと痛くなって、そのままゲームオーバーだし。
優しい唄を歌いたい。優しいってのは時に冷たく、時にエロかったりする。
ヌルくてありがちな歌詞で埋め尽くされた駄歌詞は絶対に書かない。
聴いてくれて、拍手を送ってくれる人が一人だけだとしてもその人の為に唄う。
なるべく起承転結は考えるけど、時には今回の文章みたいにただただ羅列してもいいかも。
今日こんな事書いたけど、年末には想像もつかない事が待ってるかも知れない。
なんて気が付いたら”夢”みたいな事を考えていて少し笑った。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
寒いですね〜雪がとけて…亮太さんの声が聞きたくなります。
LIVE待ってます(^O^)/
投稿: あややん | 2014/02/09 17:08