当たり前でいること
3月11日、今年はどうしよう?と考えた結果築地本願寺に行くことにした。
昨年はHPにも追悼法要を行うコトが記載されていたけど、今年はドコにも見当たらない。
まぁ特に何もなくても、祈りたいと思ったので築地へ。
そうしたら、やることになってました。うーん、なんでだろう?
バレエダンサーによる支援団体OffStageHypocriteの代表の正木亮と太頼もやってきて、僕と母含めて4人で席につく。
14時26分に厳かに法要が始まった。
厳粛な空気の中、お坊さんたちが経をあげる。
それを聴きながらこの4年間を思い返してみる。
母や太頼たちは何が去来してるかなぁなんて考える。
4年かぁ、なんだかあっという間な気もするけど、まだ4年しか経ってないんだなという気もする。
それに、まだ4年しか経ってないけどどうしても風化に近い空気を感じてしまって、少し不安になる。
津波を受けたエリアはただ”片付けた”だけの状態の場所が多く見受けれられ、「え?まだこんな感じ。。。?」と思う。
地元では復興には程遠い生活を強いられている人達も多い。
子どもたちが元気に走り回ってる姿を見ると少しホッとするけど、原発の問題を考えるとその安堵も不安と焦りに変わる。
人それぞれの暮らしや環境の中で、同じ時間でも感じ方は様々だと思う。
でもそのタイムラグが現地の人たちとそうではない人たちの間で年々広がっているのは事実なのではないだろうか?
でもそれは責められない。それぞれの生活と時間がある中で誰もが懸命に生きている。自分に直接なにか無ければ優先順位としては後になってしまうのも人の性だと思う。
きっとこの日の14時46分も全国の職場や学校や地域で黙祷が行われたと思うし、それに参加された方も少なくはないはずだ。
それはとても大事なコトだと思う。
でもね、僕が思ったのはその行為を”特別なもの”にして欲しくないなぁと。
一年に一回、その日だけに行うコトにして欲しくないなぁと。
実際にアクションを起こさないくてもいいから、東北への思いを”当たり前”のようにせめて普段から考えるだけでもして欲しいと思う。
色んな人がいて、色んなやり方がある。
直接的に出来る人をもてはやすつもりは全くない。
ダイレクトにプレゼント送りたい人もいれば、そっと手紙でキモチを伝える人がいるように、やり方は様々だ。
大事なのは”想い続けること。当たり前に”
そうすれば、普段の自分の生活の小さなコトにそれが反映されるハズ。
原発の問題、政治の動向なんかも気になってくるハズ。
そこへの関わり方が変われば、それは直接的ではなくても結果的に寄り添うコトになる。そう考えています。
OSHは震災直後から本願寺の一室を借りて支援物資を置かせてもらってた。
今回公式に発表されなくても、この日の法要があると知ったのはお坊さんから太頼たちに直接連絡があったから。
そうやって繋がってきたコトは、これからも続いていく。
僕もそうでありたいと思っています。
太頼が「本願寺の今月の言葉っていつも考えさせられるよ」というから見に行く。
ホントだ。
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